不死川兄弟の何かを受け継いだ人間はバディになっている

※本文は漫画「鬼滅の刃」最終話までの内容を含みます

※非公式のカップリングに言及しています

※推敲していないので読みづらいです

 

 

 

 

 

漫画「鬼滅の刃」が完結して3週間以上経ち、徐々に余裕ができたのでちょっとだけ脳内メモ。

まず、原作で主に活躍した“彼ら”が居る軸を中心軸、そして最終話で新登場した“彼ら”が居る軸を205話軸と便宜的に呼ぶことにする。205話軸の彼らについては、中心軸の彼らの子孫だという推測や、生まれ変わりという推測もあるし、また一部は子孫で一部は生まれ変わりという推測も見かける。結論から言うと私は「分からない」。善照くんが生まれ変わりに言及しているから、そうなのかなあとも思うけど、204話の感じからして一部子孫かなと思うキャラクターも居るので、やっぱり分からない。分からないけど、205話軸の彼らは中心軸の彼らの何かを受け継いだ人間、と同時に彼らとは全く別の人間だと思っている。それは、たとえ生まれ変わりで名前や容姿がどんなに酷似していたとしても。そして、205話は不死川兄弟(と言ってもここで言及するのは実弥と玄弥についてなので他の弟妹は出てこない)の関係性に頭を抱えていた私をやっと救ってくれた、と思わせてくれるお話だった。

本誌を読み始めたのは去年の9月頃で、ちょうど対上壱戦真っ只中だったと思う(それまではコミックス)。それまでは玄弥→実弥の極大感情ベクトルのみ描写されていたため、対上壱戦で実弥→玄弥の極大感情ベクトルをいきなり出され戸惑いつつ、まあそれは一応想定内だったのでなんとかなったが、正直実弥が玄弥を守って死ぬかと思っていたので玄弥が死んだ時はなんとかならなかった。全然関係ない私がなんとかならなかったので、勿論実弥はもっとなんとかなっていないだろうしもう立ち上がれないんじゃないかなと思ったのだけれど、数話後には姿を見せ戦っていた。いやここ完全に実弥のことナメてたな。申し訳ない。(因みに玄弥が死んでから無惨と対峙するまでに実弥の内側と外側で何らかのアクションがあったのではと思い最後までそれを楽しみにしていたが描写されなかったので、それが今でも少し惜しい)

きめつは各兄弟(姉妹とか兄妹とか)がしっかり対比されていて、胡蝶姉妹(カナエさん)は一緒に居るしあわせを、不死川兄弟(というか実弥)は一緒に居ないしあわせを願い、結果的にはどちらも鬼によって引き裂かれてしまう(余談だがノベライズ『風の道しるべ』のサンプルで実弥がこの辺りについて言及していたので発売を楽しみにしている)。どちらの選択がよかったのかは分からないけど、玄弥は兄と一緒に居たかっただろうなと思う。それでも兄は、思ってもいない言葉で弟を傷つけても、場合によっては半殺しにしてでも、それでもそんなことまでしてでも自分から遠く離れた場所でしあわせに暮らしてほしかった。母親を殺した自分と、その元凶となった鬼なんか来ない場所で、老いて死ぬまでずっとずっとしあわせに生きてほしかった。

ここで、実弥は自分と切り離したところに玄弥を置いておきたいと思っているし、玄弥の人生に自分は(鬼退治以外で)介入するつもりはなく、完全に庇護の対象にしている。

ここからは冒頭の注意書き通り特定のカップリングの話になるが、個人的にはたとえ実弥と玄弥の間に恋愛を含んだ兄弟愛があっても、上記の理由から実弥は決して玄弥に手を出さないと思う。CP表記って挿入ありきで定義されているからこういうのほんと難しい。互いが挿入したいとか挿入されたいとかそれぞれ思っているのかもしれないけど絶対しないCPと実際に挿入するCPってほんとに同じ表記でいいのか。まあこんなこと言い出すとキリがないから便宜的な線引きの役割でしかないんだろうけど。とにかく、実弥から玄弥に対する想いは上で述べた通りだと解釈している。

一方玄弥はというと、彼はとにかく自分が兄・実弥の弟であることを何よりも重要だとしていると思う。それは兄がたった1人だけ残された家族だからかもしれないし、そんなこと関係なく兄に憧れているからなのかもしれない。玄弥は対上肆戦(第114話、第115話)で絶体絶命時に走馬灯を見ていて、兄に懺悔しているかと思えば「弟じゃない」発言をされたことにめちゃくちゃ憤っている(参照:第115話「なんでだよ!!    俺は兄ちゃんの弟なのに!!」)。死ぬ間際に考えることそれでいいのかと思わなくもないが、つまりそれくらい彼にとっては実弥の弟であることが重要なのだ。(補足だが、第179話で自分のやるべきことを終えあの世に行った途端兄に突っぱねられる無一郎の発言「どうして?    僕は頑張ったのに…褒めてくれないの?」にも通ずるものを感じる。やはり、弟は一貫して兄からの承認を尊重するのだろうか)。思えば年下だろうが柱(先輩)である無一郎に対しては苗字+さんで呼ぶ玄弥は決して礼儀がわからないわけじゃないと思うし「弟じゃない」って怒ってる兄に近づきたいなら取り敢えず「風柱(様)」「不死川さん」って呼べばいいのにそうしないからよっぽど彼の弟であることに誇りと願いと価値を置いているんだと思う。そして、実弥が玄弥に想うように、玄弥もまた、自分が命を落としてでも実弥を守りたかった。命を懸けてこの世で1番優しい人を守りたかった。兄弟だから。

こういうわけで、実弥と玄弥はそれぞれ極大感情ベクトルが行き違っており、やっと最期受け止められたかと思いきや、死別してしまった。実弥は鬼にされた母親に手をかけ、小さな弟妹を守れず、自分を導いてくれた兄弟子は自分を残して死に、実の父親なんかよりよっぽど父親らしくて敬愛してやまなかった鬼殺隊当主を守れず、遂にはたった1人だけの弟までも守ることができなかった。彼の傷は計り知れず、もし実弥と玄弥が仲良しこよしで鬼殺隊で共闘していたとしても玄弥はやはり才能がなくて兄よりも先に死んでしまっていたのではないかとか、それでも一緒に居る時間が長い方がよかったんじゃないかとか、失ってしまって考えても遅いのだ。だから、私は分からないし多分この先も分からないままだ。そして、どうにも頭を抱えていた。

 

ところがどっこい。

戦いが終わって、205話が公開されたのだが、思いもよらぬ救われ方をされた。前話のアオリ通り次号時は流れ時代は現代!になっており、そこに中心軸の彼らはもうほとんど居なくて、居たのは205話軸の彼らだった。不思議なことに(?)口調も、様子も、外見も中心軸の彼らにそっくりの人間が沢山いて、不死川実弥のような警察官と不死川玄弥のような警察官がいた。以下、中心軸の彼らと区別するために、便宜的に前者をさねポリ、後者をげんポリと呼ぶことにする。なぜなら、彼らは不死川実弥と不死川玄弥の何かを受け継いだ人間ではあるけれど、彼らではないから。そしてどうやら、さねポリはげんポリの先輩らしい。この軸では兄弟ではなくなったようだ。さねポリとげんポリは実は兄弟で、職場だから形式上「先輩」と呼んでいるだけだという推測もあるらしいが、死ぬ間際でも兄貴に弟じゃない呼ばわりされたことにキレる男の何かを受け継いだ人間がそれを許すのかなと思うので個人的には兄弟ではないと思っている。まあ常々申し上げている通り205話軸の彼らは中心軸の彼らではないが。そして、この

兄弟ではなくなったさねポリとげんポリ

に救われたのである。

繰り返すが、中心軸では兄にとって弟は「命を懸けて守りたいしそもそも鬼が及ばない平和な場所で家庭を築いてしあわせに暮らしてほしい」対象だったし、弟にとっても兄は「命を懸けて守りたい、辛い思いをしたからしあわせになってほしい」対象だった。兄弟だからこう思うし、兄弟だから同じ気持ちなのだ。だからこそ、一緒には居られなかった。

でも、現世では兄弟じゃなかった。彼らは中心軸の不死川実弥でも不死川玄弥でもないけれど、彼らの何かを受け継いだ人間が兄弟ではなくなっていた。代わりに職場の先輩と後輩になっていた。それも誰かを守るのがよくわかる職業の。

彼らはもう互いを庇護の対象に置かなくなった。命を懸けて互いを守るわけでも、どこか大事なところへ仕舞うわけでもなく、背中を預けて自分たちではない誰かを守るのだ。

もう「自分はいいから」と相手のしあわせだけを願うのではなく、そこに自分は居て、一緒にしあわせになってもいいし、別に一緒にいなくてもいい。

互いを庇護の対象に置かないさねポリとげんポリはまさしくバディだ。

バディになったことで、漸く自分が救われた気がした。

 

ただ、CP検索やCP名記載の方法は悩みのタネだなあ。